私の欲求

幼いときに市民プールで幾度となく受けた集団痴漢や性加害未遂などでかたちづくられたミサンドリー気質によって、気づけば小学生の時分から「レ◯プ」カテゴリの成人漫画を買い求めていた。

今はもう潰れたあの地元の書店で、店員は私と本を5度見くらいしながら私にいかがわしい漫画を買わせてくれた。

「千回させ子」という女性キャラクターが女性器を箸でつままれて苦しんでいる場面を見て呼吸が乱れた。

体が熱くなり膝の裏にはびっしょり汗をかき、絶頂する寸前には目の前に火花が散った。そんな小学生だった。しかし友達の家のベッドの下で偶然見つけ「それお父さんのなんよ」と友達が言い訳したあの本はちょっと大人なロマンスポルノ女性向け漫画だったし、私以外の女の子だってそれなりの性欲は有していたとおもわれる。

 

きたない、みにくい、きもちわるいの3点セットみたいな中年男性を激しく嫌悪しているし、ここでしか書けないが、中年男性の8割くらいはいなくなってしまって問題ない存在だと思う。女子トイレは汚物を排泄する場所なのになぜだか安心する。

なのになぜかフェミニストに積極的に協力しようとは思えない。

それは第一にわたしは男女関係なく被虐されてきたから。おとなしいから舐められる。隣に綺麗な顔の友達が並んでいるときと、わたしと同系統のおとなしい見た目の友達が並んでいるときでは、男女問わず態度がまったくちがう。人間は全員を対等に見ることはできないシステムになってる、野生的(つまり、おろかなひと)な人は特に。動物にはなく人間に唯一備わっているのが知性だから、人間は知性をできる限り使役して、弱肉強食の本能にしたがい他人を差別したがる気持ちを克服すべき! などと弱者側が言ったって誰も聞いてくれない。体感では、女性はわたしを見て一瞬で見下すことを選択するイメージ。だから男性より遥かにマシで清潔な人種というだけで、べつに仲間じゃない。

第二に、わたしは女性が被虐されているカテゴリーの動画を見て楽しんでいる。日本は異様にアダルト動画のカテゴリが多いということに呆れと嫌悪を抱きながら、私も搾取している。フェミニストがどんなものを見るのか知らないが、たぶんコンビニの店長に器具を無理やり入れられて接客させられたり、パーソナルトレーナーに騙されてはしたない水着を着せられたり、部活内で性のはけ口にさせられるたぐいのものを見ると気分が悪くなるのではないだろうか。私は女性がむりやりなにかをさせられている場面をみて興奮してしまう、そのことをフェミニストに申し訳なく思う。

 

この生まれながらの欲求に悩まされている。

誠実な人に愛され、対等な関係を築きたいと思う反面、ひどく扱って踏みにじってほしいという二律背反が振り子時計で、後者の誘惑に耐えることをわたしは現在がんばっている。

男性性がはらむ暴力への憧れはやはり、幼少の頃に身体を断りなく触られ略奪されたショックへのストレスコーピングなのだと思う。

だとすれば私の値打ちがつきうる性欲だって大義名分となり、男性社会に洗脳されたこのマゾヒスト気質だってハリーポッターのおでこの傷のようなものだといえるだろう。そしてまた私は不意に下ネタを言って他人を驚かせてしまう日々をつづける。